性の多様性とスポーツ-友近萌美氏(フットサル選手)-参加者レポート

未来の体育共創サミット2021に、友近萌美さん(東京ヴェルディフットサルボレイロス所属、フットサル選手)が登壇くださり、セッション「性の多様性とスポーツ」が行われました。以下、本セッションのコーディネーターを務めた酒本絵梨子氏(自由学園 准教授)によるレポートです。

このセッションは、友近さんのライフヒストリーと共に展開され、個人情報を多く含んだお話しだったので、セッションの内容のレポートではなく、このセッションの設置の経緯や感想を書かせていただきます。

セッションの概要

日時:2021年1月18日(月)19時30分〜21時
内容:これまでスポーツは性別によって競技の場を分けることによって公平性を確保してきており、ほとんどの競技では種目が「男子」と「女子」に分けられています。 これは競技をする上では当然のように設定されていますが、これは本当に「全ての人が」スポーツを楽しむ前提なのでしょうか? この前提にあまり疑問を持っていなかった人も、一度自分の認識を問い直してみませんか? スポーツを自分らしく楽しむことができるように、現役LGBTQアスリートとしてご活躍の友近さんといろいろお話ししながら考えてみましょう。

セッション設置の経緯

未来の体育、新しい体育を考える上で、「多様性」というキーワードは外せないと思います。そして、学校においても、例えば40人​クラスであれば約3人の割合でLGBTQであるという調査もあり、学校の先生にとって決して遠い場所の話ではなく、目の前にいる子どもの問題である可能性はゼロではありません。目の前の子どもを大事にするには、まず知ることが大事であると思い、LGBTQの当事者の方にお話を伺いたいと思っていました。

友近さんは当事者であると同時に、プロのフットサル選手であり、海外でのプレーの経験もあり、スポーツが持っている多様性への可能性についても語っていただける、これ以上ないスピーカーだ!とオファーをさせていただきました。

しかし、このセッションを準備する中で、お話を伺うのが楽しみであるのと同時に、恐怖に似た不安も感じていました。以前一橋大学でアウティングが原因で自殺した大学生がいました。この講座で得た知識によって巡り巡って、知ったつもりの配慮に欠けた行為を後押しすることがないだろうか。つまり、「知識」に基づいたステレオタイプで無配慮な行為が現場でなされないだろうかという不安でした。ですので、「LGBTQとはこうです!」とわかってもらうのではなく、「私にできることは何か?」と常に振り返られるような「問い」を持ってもらえるように、そして、さらにはこの問題は「自分自身の問題だ」と、自身との接点を持てるようなそんなセッションにしたいと考え、ライフヒストリーをインタビュー形式で聞くのを、参加者に聞いていただくという形態でセッションを行いました。

スポーツの持つ包容力と厳しさ

友近さんにお話を伺って印象的だったことの一つに、フィールドに出たら「闘う準備はできている」という意味で、言い訳はできないというお話がありました。

女性も怪我人も関係なくプレーできるということは、多様性を認めながら共に遊べるという、さまざまなものを包むスポーツの持つ包容力であると思います。しかし、言い換えれば、同じフィールドに立つのであれば、体格差も、怪我も容赦無く同じルールの下でプレーしなくてはいけないということであり、特にプロフェッショナルにおける、その厳しさも同時に感じました。

私たち体育の教員はこの包容力の良さと、その良さを生み出してる、スポーツの種目そのもの面白さと厳しさを伝えているだろうか、ということを振り返させられました。

100%の理解はあり得ない

友近さんのライフヒストリーの中で、一番参加者の中に問いを投げかけられた話として、どうしても分かって貰えない人とどのように関係を持っているのかという話がありました。

友近さんはある出来事を通して「本当にこの人は私ことをわからないんだな」ということを感じたことがあったそうです。しかし、ネガティブな諦めとはまた違う、「この人はこうやって私を見ている人」というように、その人の見方を冷静に認めるようにしたら楽になったともお話しされていました。

この話を通して、LGBTQの問題は、私達が抱えている問題と変わらないのではないかと感じさせてくれました。

私達は他人のことを何かラベルを貼りながら関係を作っていることが往々にしてあります。親子の関係の中でも、理想の娘像、息子像を貼ってみたり、教室の中でこの子はいつもこうだ、この子はいつもよくできるというラベルを貼ってみたり。このラベルを貼っている人に、私が見てもらいたい自分を分かってもらうというのはなかなか難しく、そして苦しいものです。

しかしながら、友近さんのこのお話を通して、私とあなたは常に分かり合えない部分を持っているという前提を、まずは認識することがとても大事なのだろうと思いました。

私はあなたにはなれないのだから、100%あなたのことを理解すること、もしくは私を理解してもらうことは不可能です。しかしながら、特に同質性の高い集団や、強い結びつきのある関係の中だと、その前提をいつの間にか忘れ、対話を忘れて、ラベルの貼り合いに苦しむことがあります。

他者とわかり合うとはどういうことなのか、他者を認めるということはどういうことなのかという、我々教員が子どもと対峙するとき、広くは私以外の人と関わる時の問題と地続きであることに気が付かされたように思いました。そして、属性によって他人を見るのではなく、その人自身を知っていくことの大切さを改めて感じました。

全体の感想

友近さんの前向きで、力強い言葉と活動の裏には、本当にさまざまな葛藤や壁があってのことであり、ライフヒストリーを聞くことによって、その姿が見えたきました。

また、他の人には他のライフヒストリーがあり、まだその葛藤や壁の只中にいる人がいるという想像力を持ち、自身の「他者へのまなざし」を常に振り返りながら、これからこの課題に取り組んでいきたいと思いました。