ドイツの学校にはなぜ「部活」がないのか?-高松平藏氏-参加者レポート

未来の体育共創サミット2021にて、在独ジャーナリストの高松平藏氏に登壇いただき、「ドイツの学校にはなぜ「部活」がないのか」というテーマでセッションが行われました。以下、参加者(酒井重義)によるレポートです。

講義の概要

以下は、本レポートを書く参加者が講師のお話を伺い、自分の興味関心に沿ってまとめた内容であり、講師のお話を正確に記載しているわけではありません。この点をご留意ください。

  • ドイツを「進んだ国」として捉えるのではなく、日本と「発展経緯」の違う国として捉える。ドイツの進んだ事例を日本に輸入しようとするのではなく、比較を通じて日本をよく見ることができるようになることが大事。
  • ドイツと比較すると、日本の学校の役割は多い。ドイツは勉強を教えるだけだが、日本の学校は勉強を教えるほか、部活などの余暇活動もやる。また、生徒が問題を起こしたら、日本ではは学校の先生が謝りに行くが、ドイツの学校で先生が出てくることはない。法律通り、18歳以下は親の責任であり、18歳以上であれば本人の責任である。
  • 日本は、社会生活の中で、学校や職場が占める割合が非常に高く、家庭やコミュニティ(同好の士の集まり)は比重が小さい。他方、ドイツの社会生活では、学校・職場、仮定、コミュニティ、それぞれが同じぐらいの割合を占めている。ドイツに駐在した日本人ビジネスマンは「1日が2回あるようだ」と言ったことがあるが、平日、学校や職場から早く帰ってきて、スポーツクラブに行ったり、家庭でゆっくり過ごしたりすることが普通である。これには「可処分時間」が必要である。
  • ドイツのスポーツクラブは、子どもからお年寄りまで国民の約30%が所属しており、それぞれ平等な関係である。日本の先輩・後輩、先生・生徒のような縦社会の関係にない。人々はスポーツクラブを社会が大切にされている価値(自由、平等、寛容、連帯、相互敬意)を担う「社会的組織」として自覚している。
  • コミュニティとは何か。ドイツの社会は3つの層で考えることができる。①国家、②私圏(学校・職場・家庭)、③公共圏(社会)、である。この公共圏(社会)を強くしていこう、という広い了解がある。コミュニティとは、自立した個人の集合体で、③公共圏(社会)の中にあるもの。この音楽やスポーツ、芸術がこの「社会」づくり、コミュニティづくりで大事にされている。これに対して、日本には、ドイツでいうコミュニティがほとんどない。つまり「③公共圏(社会)」がない。「村社会」のよう人間関係があるが、それは地縁血縁に紐づいた関係で、ドイツの「公共圏(社会)」にあるコミュニティのような自立した個人の集合体ではない。
  • 日本の学校になぜ部活が必要だったのか。「③公共圏(社会)」の「コミュニティ」がないから、学校が引き受けざるを得なかったのではないか。日本でも戦前、子どもが学外のクラブでスポーツをしていたらしいが、しかし、「教育的ではない・外部の者と一緒にやっているとろくなことにならない」となった。ドイツは、スポーツなどを通じて「③社会」を強くしてきたので、学校に部活は必要なかった。これから日本は「社会」とは何か、を改めて考えていく必要があるのではないか。

参加者の声(アンケートから)

  • 部活で教員生活を苦労したので、正面から「部活」について議論したいと思いながら、そういう機会を得ることが出来なかったので、今日のセッションはとても楽しみでした。そして、私が漠然と描いていた「余暇活動」のお手本がドイツにある!ということが分かりました。移住したいですね。もっとスポーツを楽しみ、関わり、余暇活動を充実できたら、日本人も生き生きすると思いました。ありがとうございました。
  • とても考え方が整理できました。

感想

部活は「学校」の問題だと捉えがちであったが、ドイツとの比較を通じて、「社会」の問題として捉える視点をえた。ドイツは大人がスポーツや芸術を楽しんでおり、そのスポーツクラブに子供が参加することが大切だと考えられている。他方、日本の場合、大人は多くの時間を職場で過ごすのでスポーツや芸術を楽しむ時間がなく、スポーツを楽しむ大人のコミュニティがない。したがって子供は学校の外で行くところがなく、学校が子供の余暇活動(部活)をみることになる。

このような違いがあることを前提として、それではこれからどうしたらいいのだろうか。講師は、安易に「ドイツの先進事例を取り入れましょう」ではなく、「社会とは何か」を考えることからスタートしようという。

社会とは何か、この問いは、一人ひとりの大人が充実したときを過ごせるコミュニティとはどのようなコミュニティなのだろうか、という問いだと個人的に受け取りました。抱えている目の前の仕事の忙しさにかまけずに、自分たちが、自分たちなりのやり方で人生を謳歌していこう、自分たちの幸福にしっかり向かい合い追及していこう、その先に子供たちの笑顔がある、講師のお話はそんな感じで私たちの背中を押してくださっている感じがします。

(酒井重義)

セッション紹介

セッション名
ドイツの学校にはなぜ「部活」がないのか?
セッション内容
「ドイツの学校にはなぜ「部活」がないのか?」(晃洋書房 2020/11/27)の著者である在独ジャーナリスト高松平藏さまをお招きして、お話をお伺いしながら、参加者と対話を繰り広げていきます。


「ドイツの学校にはなぜ「部活」がないのか?」のまえがきより

今世紀に入って、日本のスポーツをめぐる問題が目立つようになりました。特に学校を見ると、部活における指導者の体罰、部活内のいじめ、適切な指導ができず、練習中に重篤な事故の発生。こういった問題が生じています。

これは学校だけではありません。たとえば女子柔道の国際強化選手が監督から暴力などのパワーハラスメントを受けていたことが、選手たちの告発で明らかになりました(2013年)。トップアスリートの世界でさえ、監督による体罰が行われているわけです。部活の指導を行う先生たちの労働環境も大変なことになっています。運動部の顧問ともなると日々の指導に加え、週末の試合の引率などが発生します。結果的に勤務時間が長くなり、学校がいわゆる「ブラック職場」のような状態になっています。こうしたことがなぜ起こるのか、あるいは、どのように解決すればよいのか。日本国内では継続的に議論が行われています。

他方、私が住むドイツのスポーツを見るとまるで日本とは異なります。子供から大人まで老若男女が様々なスポーツをしていますが、その様子は楽しげで、リラックスしていて、雰囲気も明るい。日本でもそんな「スポーツ」をしている人もいるでしょうけど、「試合に勝つ」といった目標にこだわりすぎているところも多く、真面目にキビキビと動き、大きな声であいさつを交わします。ドイツに比べると眉間にシワをよせながらスポーツをしている人が多い印象があります。

ドイツの町に住みながら、取材・観察・調査を重ねていくと、両国の雰囲気の違いがなぜ起こるかが見えてきます。一言でいえば、スポーツを教育や社会、政治などと、どのように関連づけているのか。これが異なるためです。本書ではここに焦点をあてて、ドイツのスポーツを読み解いていきます。読者の中には、ドイツが素晴らしい国に見えてくる方もいるかもしれません。しかし、実際には問題もあるし、日本に右から左へコピーできるようなものでもない。ただ他国のスポーツの構造を見ることで、日本の問題を議論するための刺激にはなる。そのように使っていただけると本望です。
講師
高松平藏氏
ドイツの地方都市エアランゲン市(バイエルン州)在住のジャーナリスト。著書に『ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか―質を高めるメカニズム』(2016年)『ドイツの地方都市はなぜ元気なのか―小さな街の輝くクオリティ』(2008年)、『ドイツのスポーツ都市 健康に暮らせるまちの作り方』(2020年)などがある。

※本日の講演の参考として以下を記事がございます。
「ドイツ在住ジャーナリスト 高松平藏ウエブサイト Interlocal Journal」
追手門学院大学 教授 有山篤利さん
オリンピックの代わりに何を考えるべきか?
第1回 五輪の価値とは何か?
第2回 コロナ危機、試合中止は問題か?
第3回 「托卵モデル」という日本の構造
第4回 「相手任せ」になる日本の理由(最終回)

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