これからの柔道の話をしよう- 酒井重義氏-レポート

2021年1月21日(木)、未来の体育共創サミット2021にて、「これからの柔道の話をしよう」というセッションを担当させていただきました。以下その概要をご報告いたします。

1.講演の概要

国内の登録柔道人口は2004年は20万人だったが、2020年は14万人となっている。このようなとき「柔道をこれからどうしたらいいか」という問いを立てることが多いが、「社会の課題を柔道でどのように解決することができるか」という問いを立てるべきだと考える。

もし社会の課題を解決できるとか、価値を提供できるのであれば、社会から必要とされて柔道をする人は増えるだろう。それでは、どのような社会の課題の解決に柔道は役立つことができるのか。このセッションでは3つの視点、「運動」、「教育」、「日本」からお話する。

1点目、運動。なぜ運動は必要か。運動が心身の健康にいいことは周知の事実だが、それではなぜ運動しないと病気になってしまうのだろうか。病気を進化論から考えると、社会を発展させ便利になって身体を動かさなくても生きていけるようになった結果、何百万年という長い年月をかけて進化してきた身体とのミスマッチにうまれ、ここから病気など様々な苦しみが生まれている。この視点から、体育・運動・スポーツ関係者の役割を考えると、社会に空いた大きな穴を防ぐ社会防衛のような役割を持っている。

運動を届ける、運動のデリバリーが社会の課題であり、歴史的にみると、大きな二つのデリバリー方式があった。イギリス・パブリックスクールの「スポーツ」教育に影響を受け、オリンピックという大会の運営を中核して運動をデリバリーする枠組みをつくったクーベルタン。大会の運営とメディアが提携して競技スポーツを観るスポーツとして発展させ、運動する人を増やそうという試みである。もう一つは学校を通じて運動をデリバリーする仕組みを作った嘉納治五郎。嘉納は20~30年の間、高等師範学校の校長として体育・部活に熱心な教師の育成に尽力して全国の学校に送り出した。柔道も学校を通じてデリバリーできるよう、嘉納は長い間政府に働きかけていた。

近年の様々な研究は運動が様々な医療的効果を有することを明らかにしている。増加しているという発達障害についても、これまでの社会性の障害という理解のほか、一種の身体の障害と捉えた方が有益な側面があり、身体・運動からアプローチする必要性がある。

「底辺が広げないと(競技水準が落ちる)」という視点も大事だが、広く社会を見渡して、運動がもっている医療的福祉的効果を理解し、運動をデリバリーすることが社会的に求められていることを理解すれば、柔道がこれから何をしたらいいのか、進むべき方向が見えてくるだろう。何しろ運動を潜在的に必要としているが、届いていない人々が無数にいるのだから。各地にインクルーシブな柔道コミュニティづくりに取り組んでいる人々がいる。

2点目、教育。日本ならびに先進国の教育の課題は、学校で勉強をがんばっても社会で必ずしもうまくいくわけではない、というミスマッチであり、この課題を解決するため様々な施策が行われている。このような施策を大別すると、①目標の再設定、②社会との接点を増やす、である。

①は、OECD(経済協力開発機構)がDeSeCoというプロジェクトにより、これからの社会で求められる能力(キー・コンピテンシー)を特定し、PISA(学習到達度調査)で測定して各国の教育政策を誘導している。日本でも学習指導要領の改定を通じて目標の再設定は行われている。②は、インターンシップの普及がその象徴だが、コミュニティスクール、島根県から始まった高校魅力化プロジェクト、アクティブラーニング(社会での学び方を学校でも)など様々な形で取り組まれている。

同じ構図が柔道にも当てはまる。柔道を頑張って競技大会で上位にいくようになっても、必ずしも社会でうまくいくわけではない。教育機関としての柔道のこれからを考えるのであれば、このミスマッチを解消することが課題になる。そして、その解消方法は学校がやっていることと同じである。①目標の再設定、それに伴うカリキュラムの開発、②社会との接点を増やすことである。

①は嘉納治五郎が何十年も費やして研究してきたテーマである。OECDはDeSeCoで長い時間をかけて「キーコンピテンシー」を特定して教育目標を定め、その能力を開発するにはどのような学習プログラムが必要なのか、再構築してきたが、嘉納が長い探求の末に提示した「精力善用・自他共栄」はこのような文脈で理解する必要がある。もしこのような視点で捉えたら、柔道が教育機関としてこれからどうしたらいいか示唆を得られるだろう。つまり(「精力善用・自他共栄」という目標の是非の検討の次に)、「精力善用・自他共栄」を体得するにはどのような学習プログラムが必要なのか、検討して再構築することである。ただ漫然と乱取りをしているだけでは身につかないことを嘉納が指摘している。②は様々なカタチがあるが、もっとも有効であるのは国際柔道交流だと考える。

①も②もこれまでの社会では現実的に改革をするのは難しい。しかし革命的な技術革新がある。それがオンライン教育である。オンライン教育というと、学校にいかずに自宅で学べるなどのメリットが強調されているが、大事なポイントはそこではない。オンラインによって②の学校と社会の接点を増やすという課題を見事に解決している点であり、その象徴的な例は、様々な国の学生が共同生活を送りながら世界7都市でのインターンシップやプロジェクト学習を可能とした米国ミネルバ大学である(オンライン教育ができることで子供は様々な社会に入っていくことができるようになった)。

教育機関としての柔道は、オンライン教育(ネット学校)というシステムを中核として、①目標の再設定とカリキュラム開発、②国際柔道交流(多国籍の生徒が共同で学んでいく)にその未来があるだろう。現在「スポーツ」というマーケットにある柔道だが、上記を実現することができたら「教育」というマーケットに入り、現在、200か国以上、約5000万人の人口を有するという柔道は、次の時代には、世界最大の教育機関として飛躍することができると思う。

3点目、日本。時代は進んでも国民国家の時代は続く。コロナ禍でも国家のプレゼンスは明らかになった。日本という国家の存続が問われていることは昔から変わらない。「力」には相手を攻撃する「ハードパワー」と仲間を増やす「ソフトパワー」がある。嘉納治五郎は柔道を日本のソフトパワーとして普及することを企図したが、それは成功した。東海大学、国際武道大学、日本武道館を設立、国際柔道連盟会長を務めた松前重義も同じ問題意識を持って活動していた。②の取り組みは、柔道を軸として世界中の子供たちが日本を行き来して学ぶ教育システムの確立であり、日本のソフトパワーをさらに高めるだろう。日本の安全保障を担うインフラとして柔道のこれからを作っていくという視点をもつ必要がある。

2.話し合いの概要

柔道だからこそある魅力とは何だろうか。実際の現場では生徒に柔道の魅力を伝えようとしてもなかなか難しい。どうしたらいいだろうか。

技の修業をして精神を磨く、技の修練度が上がると人格も向上する、という武道の教育観は本当だろうか。また、その機能を高めるにはどうしたらいいのだろうか。

「柔よく剛を制す」という伝統的な動きや考え方は競技スポーツとしての柔道の中では失われてしまった。それは競技として発展していくうえでやむを得ないものであり、進化したと言える。他方、柔道を一つの種類に限定するのではなく、競技として頑張りたい者、技の向上を楽しむ者(剣術家やブラジリアン柔術に多い)、健康維持のために楽しむ者など。様々な種類の柔道が存在して、それぞれが選べるにようになったらいい。などなど。

3.ご参加者アンケート

「改めて柔道のもつ魅力を考える機会となりました。おそらくこのセッションに参加することが第一歩になり、二歩三歩と歩めるかが自分が努力しなければならないことと感じました。」

4.感想

当日は19:30~21:00のセッションでしたが、セッション終了後もご希望者で話し合いが続き、23:00近くまで続きました。様々な話題が出ましたが、特に現場で指導に葛藤している先生がそれぞれ現場で抱えている課題をシェアしてくださり、この課題をどう捉えたらいいのか、実際にどうしたらいいのか、という話し合いがとても刺激的でした。いずれも一筋縄でいかない課題ですが、最後には、話し合える場があるということが大事という点で一致しました。ご参加くださった皆様、サミット運営関係者の皆様、改めて、ありがとうございました。

酒井重義
NPO法人judo3.0代表

日時
2021/1/21(木)19:30-21:00
題名
これからの柔道の話をしよう
内容
柔道人口が減少して苦しい状況にあると思いますが、地域や海外に目を転じたら、先進的な取り組みをされている指導者がいろいろいらっしゃいます。柔道は、ヨーロッパで”More Than Sports”とよく言われるように、より教育に重きを置いた点が世界中の人々に受け入れられた理由と思います。国内では2020年に大きな教育改革が行われましたが、世界的に教育が大きく変わろうとするとき、教育としての柔道はどのように変わればいいのでしょうか。「これからの柔道」の種は現場に少しづつ散らばっていると思います。みんなで持ち寄って、オープンにフランクに話し合って、その種を育てるきっかけになったらと思っています。
講師
酒井重義氏
NPO法人judo3.0代表理事。
宮城県女川町在住。都内の法律事務所で弁護士として活動後、福祉系ベンチャー企業での勤務、発達障害児向け運動療育福祉施設の経営などを経て、2015年1月、柔道教育のバージョンアップを企図してjudo3.0の活動開始。グローバル&インクルーシブな柔道教育づくりのため、国内外の柔道の先生とネットワークを作り、子供たちの国際柔道交流の支援や発達障害と柔道指導のワークショップなどの活動を行う。著書に「発達が気になる子が輝く柔道&スポーツの指導法」(共著)。