未来の体育共創サミット2021で、本木卓磨氏(株式会社meleap)、酒本絵梨子氏(自由学園最高学部)にご登壇いただき、「スポーツ×テクノロジー〜未来の体育の輪郭を探る〜」というテーマでセッションが開催されました。以下、本セッションのコーディネーターを務めた久保賢太郎(東京学芸大学附属世田谷小学校)によるレポートです。
1. セッションの概要
日時:2021年1月23日(土) 14時45分〜16時15分
内容:AR(拡張現実)テクノロジーを活用したテクノスポーツ「HADO」の紹介及び東京学芸大学附属世田谷小学校第4・6学年を対象に実施した「HADO」の授業の概要について、本木氏・久保の両名より概説。その後、酒本氏よりテクノロジーを活用したスポーツとその教育学的意義についてご考察をいただいた。
(1)テクノスポーツ「HADO」について(本木卓磨氏より)
- 「サッカーを超えるメジャースポーツをつくろう」を合言葉に、ARテクノロジーを活用したニュースポーツを開発した。
- 有名漫画「ドラゴンボール」の必殺技「かめはめ波」のイメージで、腕を振る動作をすると拡張現実世界において衝撃波(HADO)を打つことができる。
- 拡張現実世界において見える相手プレイヤーの前にあるゲージを、HADOによって破壊することでポイントが加算される。すべてのゲージが破壊されると、ゲームに参加できない。
- HADO以外に、それによる失点を防ぐための「シールド」を設置することができる(回数制限あり)。シールドは、HADOを当てることによって破壊することができる。
- HADOの性質(相手に与えられるダメージ・スピードなど)や、シールドの詳細(シールド設置可能回数やシールドの強さ)などについて、ゲームの前にパラメータを割り振ることで設定することができる。そのため、攻撃特化型プレイヤーや防御専門プレイヤーなどの役割分担ができ、それはチームのストラテジーに依存することとなる。
- 各地で大会が実施されており、全国大会や世界大会が開催されている。また、プロのHADOプレイヤーも存在し、その競技人口は着実に拡大していっている。
*詳細は株式会社meleapのオフィシャルサイトを参照されたい。
(2)授業実践について(久保賢太郎)
- 第4、6学年を対象に実施。
- 校内のホールにHADO関連機材を設置
- 授業前にmeleap社員およびHADOプレイヤーによる操作方法などのレクチャーを受け、授業に移った。
- 同学年同士で何度か対戦をしたあと、「4年生対6年生」でのゲームを実施。パラメーター機能など、運動経験差や技能差が捨象されやすく、「イコールコンディション」をつくりだすことができるHADOの特性を活かした授業展開。4年生が勝利するゲームも散見された。また、ゲームの最中に子どもたちが自発的に戦術、戦略を練り始める姿もみられた。
(3)酒本氏による考察
- AR空間によるHADOの攻防を「拡張する身体」という視点で考察してみると、実はそれほど真新しいものではない。例えば、けん玉遊びでは、まさに玉が自らの身体であるかのように感じられ、そこに神経を研ぎ澄ませようとする。また、鉛筆を使って文字を書いているとき、鉛筆とノートの摩擦が自分の身体に触れたかのように感覚されることがある。そうした意味では、これまで人類が触れてきた「拡張する身体」による「遊び」の地続きにあるものとして理解されたい。
- ただし、授業実践の紹介でも語られたように、技能差がどうしても埋まらないものをテクノロジーで解決して、ゲームそのものの面白さを味わうことができる、という新しさがある。これは、テレビゲームの世界では可能であったが、HADOはさらに激しい身体運動が伴うということも新規性であるといえるだろう。
- このことは「できないこと」への捉え直し、揺さぶりになるだろう。つまり、「できないから嫌い」が体育嫌い、スポーツ嫌いを呼び起こす原因であると議論されがちであるが、実は、スポーツが好きな子は「できないが面白い」「できないからこそ面白い」。技能差はこれまでその子個人の身体性から切り離せないものだったので、「できないこと」への解決をネガティブに捉える人もいた(「私が」悪いになってしまう)。しかし、それを「戦術」として解決できるならば、「できないが面白い」という「遊び」や、ひいては「学び」の本質に触れ、そのための試行錯誤、創意工夫といった側面を発揮させることができると同時に、「できないから嫌い」という運動・スポーツ観を転回することになり得るのではないだろうか。
- 外遊びとどっちが良い?という話ではない、外遊びに代わるものとして捉えるのではなく、新しいスポーツとして捉えたい。外でサッカーもするし、バスケットもするし、HADOもする、といったようなイメージで、定着していくことが期待できる。
2. 参会者より
- 使ったことのない感覚を使うという体験、ぜひしてみたいです。視覚を用いたゲームだけではなく、別の感覚をつかった遊びもできたらどうかと考えました。
- 大変面白かったです。子どもの技能さをフラットにしたからこそ、思考がいつもとは違う形で働くのではないかなかと思いました。
3. セッションを終えて
テクノロジーを学校教育に、ということは喧伝されているが、現状ではあくまでも学習支援ツールとして考えられているものが大半である。しかし、テクノロジー×スポーツによって、「技能差」や「できなさ」などといった我々の運動やスポーツに対する理解そのものが書き換えられ得る可能性が示唆されたことは、本セッションの意義の一つであろう。
そうしたときに、実は歴史上人類が親しみ深めてきた「遊び」と地続きになっている、という議論は一考に値するように思われる。なぜならば、使用する技術が変わっただけで、「遊び」の本質からは逸れていない、ないしは、むしろスポーツを「遊び」の本質へと近づけうる可能性が見出されるように思われるからである。だとするならば、こうしたテクノロジーは、人類が連綿として親しみ、受け継いできた「遊び」の奥深い世界~例えば、できないからこそおもしろい、というパラドキシカルな世界~へと、我々を、また子どもたちを連れ戻してくれる。そんな期待を抱かずにはいられない。
「遊び」の「学び」の類似性は、他セッションでも話題となっているし、近年各方面で注目されていることから、子どもたちを「遊び」の世界に引き込んでくれるテクノロジー×スポーツが今後どのような展開を見せるのか、またその只中における教育学的意義をどのように見出し、解釈するのか、今後の実践、研究のテーマとしていく必要があろう。
もしかしたら、我々が暗黙裏に抱く近現代的スポーツ観、技能観、身体観の側がむしろイレギュラーなのであって、そうしたイレギュラーな価値観が、子どもたちを「不自由な身体」へと誘ってしまっていたのではなかろうか。セッションを終えて浮かんでくるのは、そうした現状への素朴な問いである。「そもそもを問い直す」本会においても、重要なテーマとなりえるだろう。全国の先生方と課題意識を共有し、その超克をともに企てていける日が来ることを切に願う。
(文責:久保賢太郎)
セッション紹介
セッション名
テクノロジー×スポーツの可能性〜未来の体育の輪郭を探る〜
セッション内容
AI時代の到来が予見され、テクノロジーと人間との関係は切っても切れないものとなっています。そんな中、eスポーツやテクノスポーツといった、新しいジャンルのスポーツが注目を集めています。体育がスポーツに遊ぶのだとしたら、果たしてこうした「テクノロジー×スポーツ」もまた、体育の射程に入ってくるのか。いわゆる日々の「体育授業」から一度離れ、スポーツのありようの変化から、未来の体育を一緒の考えてみませんか?
講師
久保賢太郎氏
東京学芸大学附属世田谷小学校(東京)
専門:スポーツ教育学 教師研究 現象学的教育学 遊び
問題関心:夢中になって遊び続ける学習環境デザインと教師の立ち位置